2018年5月22日

 河﨑秋子の「肉弾」を読みました。新聞の読書欄で知った初めての作家でしたが、あまりの面白さに2日で読了。新聞には「自然界での人間の立ち位置を探る」とタイトルがついていましたが、なにしろ面白い。父親と一緒に摩周湖の森に熊を撃ちに入り込んで、父親が熊に殺された後の4日間の物語。

 引きこもりの青年が「自らも獣として命を守るしかないと決心(書評より)」し、

野生化した犬たちとの死闘をへて父親を殺した熊に出会い、戦いを挑むまで、はらはらドキドキの連続でした。しかも、おもわず涙が出てしまうシーンもあり、ちょっと笑ってしまうシーンもあり。

北海道の道東、猟、犬、自然、そしてハードボイルドが好きな人にはお勧めです。

 

 

2017年7月26日

26日の中日新聞の朝刊に「愛知池の唄」が紹介されました。

ギターの横で機嫌よく笑っているのが兄。

2017年7月11日

兄と合作(作詞)した歌がユーチューブにアップされています。

(https://www.youtube.com/watch?v=3mgzlrwbfws)

兄が仕事でよく出かけていた愛知池の近くで知り合った人に頼まれて作ったもので、地元のテレビにも取材されたとよろこんでいます。

まあ、誰とでも仲良くなる人です。

yohooで「愛知池の唄」で検索すると出てきます。

 

2016年10月20日

 先週の土曜日、愛知県の高校の文芸部の生徒さん20人とその顧問の先生方に詩のお話をしてきました。

 短歌を書かれている方がその責任者をされていて、その方のご紹介でした。

話があちこちいくようですが、その方は永井陽子さんをご存じで永井さん通じて私のことも知っておられたのでした。

 

高校生の詩は初々しくて、「今どきの子たちはどうなのかしら」と興味津々で出かけたのですが、昔の自分と変わらない感受性と反抗心、好奇心をもった子たちに出会えました。

 

いい経験をさせてもらえました。

 

永井さんの出身の瀬戸高校で「永井陽子短歌大賞」を設定して募集しているそうです。

今は詩より短歌の方が人気が高いので、いい作品がたくさん集まりそうです。

 

 

2016年9月17日

 飛墨会書展に行ってきました。

18歳で永井陽子という歌人と出会い、詩と短歌の同人誌『詩線』をはじめて39歳になるまで続けました。全部で32冊。最後の号はB4用紙一枚のおわかれのあいさつでしたが。その後彼女が亡くなるまでの約10年間のことは思い出すこともつらい歳月でした。

今回、会に参加していろいろなことを感じたのですが、一つだけ記しておきます。

 

「べくべからべくべかりべしべきべけれすずかけ並木来る鼓笛隊」

この短歌をラジオパーソナリティの方が元気に読まれました。

そして、それを聞いた帰り道、一緒に参加したもう一人の友人が「べくのうた、少し違うふうに私は思う」と言い、それは私も感じたことでした。

私たちは「こうすべきだ」という世間の要求に苦しみぬいていた永井さんを自分のことのように知っているから、明るく楽しくは読めないのです。どんな思いでここですずやかな「すずかけ並木」を出したのか想像できてしまうのです。

 

すぐれた作品は作者の手を離れ、作者を超える、とつくづく思いました。

 

「ひとの知らぬ愛しみなればなみなみと盛る天空の瑠璃の器に」(蓑虫伝説)

家に帰って「詩線」31を開いたらこんな歌がありました。

この歌を読んで、すぐれた作品とはこの天空の瑠璃の器のようなものだと思ったのです。この器に作者自身の具体的な苦しみや悲しみを盛ってはいけない。「なみなみと盛る」といいながら、決して具体的な自分というものを見せていない。空っぽの器を差し出しているだけなのです。だからそこに読者は自分の愛しみを盛ることができる。

 

 詩は読まれたときに成立すると考えています。一つの詩には読み手の数だけの詩があると。

短歌も同じ。

 

で、自らを振り返ってみて

どこを切っても「大西美千代」な詩を量産していることを

これでいいのかなあ、と思ったりもしている次第です。

 

 

 

 

 

 

 

詩線終刊号。

B4一枚を半分に折って表に表紙、裏にそれぞれの作品を載せました。

2016年8月19日

 高橋源一郎の「非常時のことば」(朝日文庫)を読みました。3.11の震災以降「ことばを失った」という高橋源一郎が選んだ文章がたくさん紹介されています。ひどすぎる現実の前に、のんきに、考えなしに発せられた言葉は受け付けられないという高橋源一郎の人としての誠実さに共感しつつ、少し違和感を感じています。

 戦後、戦争を体験した人たちが書いた戦後詩、まさしくその時代の空気を濃厚にまとった、「荒地」「列島」の詩は今読むと上手いけれど共感の余地がないと感じます。逆に時代の空気から背を向けたような大岡信の詩は今の私たちが読んでも心にしみてきます。それは単に抒情詩だから、ということではないと思います。

 だんだん頭が悪くなってきたみたいで、ちゃんとした文章をまとめるのが億劫になってしまったのでこれくらいにしておきますが、この本を読んで紹介したかったことは川上弘美の「神様(2011)」が先に書かれた「神様」と重ね合わせるようにして載せられているということです。「神様」は20年ほど前に川上弘美が発表した短い小説で、くまとわたしが散歩するというあっさりしたお話なのですが、それをほとんど変えずに舞台だけ2011年3月11日以降の福島にしています。たとえば「神様」で(ちかごろの引越しには珍しく、引越しそばを同じ階の住人にふるまい)になっている部分は「神様(2011)」では(ちかごろの引越しには珍しく、このマンションに残っている三世帯の住人全員に引越しそばをふるまい)に書き換えています。

これは、本当にすごい。ぜひ、皆さんに読んでもらいたいと思います。

2015年6月4日

植木に花が咲きました。

この木には物語があります。


会社を退職したときに後輩から観葉植物をもらいましたが、退職記念に長旅をするので母に預けて出ました。

20日ほどして帰ってきたら、鉢の植物が観葉植物から山で見かけるような木の小さいものに変わっていました。

私がいない間に枯らしてしまったのを母が植え替えていたのです。


あれから3年。木はすくすく育って、母が亡くなって初めての春、今年小さな花をつけました。