一生かかって失敗してきた

と、ときどき思います。

夢を持つことは一生をかけて失敗する可能性があるということです。

夢がかなわなかったときに。

それでも「梅の花が開きました」と書いてしまったときに

なにか悟ったような、あきらめきったような。

キャベツ

おくさん

あなたが買わなかったキャベツを

買いました

あなたが手にして少し迷って

元に戻した小さな軽いキャベツを

 

わたしの手のひらに少し余るくらいの

キャベツを千切りにして食べました

 

おいしくないキャベツ

 

こんなふうにして

一生かかって失敗してきたと

思う朝ですが

 

今年も白い梅の花が開きました

亡き母は脚が悪かったから

シルバーカーを押した少し太めの

どこにでもいそうな小さなおばあさんをスーパーで見かけると

しばらく母だと思って見ていることがあります。

この詩の「あのひと」は昔好きだった人のことですが。

執着

十メートル手前まで

「あのひと」だった

細い川沿いの散歩道

大きな緑の葉を深々と茂らせる泰山木の下まで

そして

見知らぬ人となってすれ違う

 

執着が「あのひと」を作り出す

 

ぽとりぽとりと

泰山木の花が落ちる

 

すでにもうこんな汚れて

 

尻尾で過去を掃き清められたら安心できるのに。

思い出したくないことは全部尻尾に任せてしまって

すました顔をして歩いていたい。

尻尾

前を行く若い女の人の

お尻から尻尾が出ている

まあありがちなことではある

あんなに鋭いハイヒールを履いているし

と思ったら

左から出てきたおじさんの

お尻にも尻尾がある

すり減った灰色の

お嬢さんのふさふさ尻尾にはかないそうもないけれど

まあ尻尾である

 

なんですかそれで

歩いてきた足跡を消してきたのですか

だからそんなに

ささくれだってしまっているのですか

あなたの尻尾

 

そっと

手を回してみる

使い古した竹ぼうきのような尻尾に触れる

その先っぽに絡み付いている古い布切れのような

思い出が湿っている

 

兄の鹿狩りについて行って鹿が死ぬのを見守りました。

鹿の目の光が消えていくのを

一度だけ、きちんと見て、それからはもう見ていません。

詩にするのには10年かかりました

鹿狩り

目はゆっくりと

輝きを失くしていった

つまり鹿は

目をあけたまま死んでいったので

その目が最後にうつしたのは

曇天の空でしかなかった

 

一発の銃弾で命を落とした

死ぬことを考える間もなかった

森は深い秋を迎え

枯葉の重なる地面に

前足をつき

頭を落とした

もう

食べ物を探すことも

伴侶を求めることもしなくていいのだと

役割を手放して

目は光を失っていった

 

兄さん

あなたが仕留めた獣の肉を

今夜は二人で食べましょう

 

森の中にはもうひとつ

光の通る道があって

木々の枝の向こうに

幹を光らせている木がある

その木の元に骨を埋めた

 

今でもあの森は

青い光を育てているのだろうか

いきものの目が二つ光っているのだろうか

 

札幌のバスターミナルで前に並んでいた男性がいきなり崩れました。

隣にいた娘さんと思われる女性が腕をつかんで立たせようとしたのですが、

男性はそのまま崩れ落ち、すぐにそのコンクリートは失禁したと思われる色に染まっていきました。

そんな状況でその男性は「だいじょうぶだ」と娘さんに言っていたのです。

この出来事を詩に書けるようになるまでにはたくさんの時間が必要でした。

だいじょうぶ

バスを待つ列で

目の前の人がくずおれた

膝が折れ

力が抜けていく

だいじょうぶだおれはまだ死なない

 

それは誰かの声と重なる

父の

母の

すべての生きていた人の

 

いつかは死ぬ

わたくしの

 

うつむいたまま

背後に立つものの気配を

感じて立ちすくむ

 

桜の花が風に揺れる

激しく揺れる

激しく揺れて枝ごと一羽の鳥になる

そんなイメージがひとつの詩になりました

花見

たっぷりと花を湛えた桜の枝が

いっせいに揺れると

一羽の大きな鳥になって飛び立った

 

無数のはなびらを撒き散らし

あたり一面を桜色に染めあげて

はばたき はばたき はばたき

 

花であったことを忘れる

長い年月をかけて育った太い幹を忘れる

空!

水色の空の高みを目指して飛ぼうとすることで

不覚にも鳥は分解する

 

はなびらが降ってくる

はばたき

はばたき

降ってくる

 

地上では一組の家族が花見をしている

その上からも

恋の詩は、"年甲斐もなく"とか思ってしまいますが、

書きたかったのだから仕方がない。

これがさいごかもしれませんけど。

私と「わたし」の違いが表現できていたらいいのですが。

誰かを好きだということは、究極

「誰かと会っている時の自分が好き」ということかもしれない。

 

風葬

私の中のわたしが死んだ

たぶんまだ生まれてくるだろう

私の中にはたくさんのわたしがいる

けれどあのひとと会っている時の

わたしが一番好きだった

 

一番好きだったわたしを亡くして

からっぽになったところに

椿のような赤いものを落としておく

それだけのこと

それだけのことで

もう泣くこともない

 

ごつごつした岩に覆われて

一滴の水もない

もちろん一滴の涙もない

乾いたところに

あのひとを好きだったわたしを置く

 

高い空を猛禽類が円を描いて舞う

鋭い爪と嘴を光らせているが

わたしの体は

土に帰っていくことを望んで

しずまり返っている

 

遠くで風が生まれるまでの時間

ひとりで立っている

ひとりのわたしも悪くないと

思い始めたころ

風が生まれる

やがて

空の向こうから

竜巻とともに

風がやってくる

自動書記のようにしてできた詩。

個人誌に発表したけれど自分でも意味がよくわからなかった。

今朝不意にわかった。

これは死を詠んでいるのだと。

誰にでも順番に

死が回ってくるのだと。

ガーネット

夜がひとつずつ上がってくる

観覧車のように

 

光がなければ夜は沈黙していられたのに

夜の中に夜が浮かぶ

 

空中の寄る辺ない足元に

宝石がひとつ落ちている

 

母の形見のガーネット

かもしれない

 坂本冬美の「夜桜お七」が頭の中でがんがん鳴る。

…さくらさくらいつまで待っても来ぬ人と死んだ人とは同じこと…

この詞が歌人の林あまりによるものだとは先日知った。

「さくらさくらいつまで待っても来ぬひとと死んだひととは同じさ桜」

この詩を書いたときに夜桜お七を意識していたかどうか、もう忘れてしまったが、会えなくなった人のことを考えていたことは間違いない。

 若かった時の恋人に会いたい。話が尽きなかった頃の友達に会いたい。今でも会おうとすれば会える同姓同名のあの人ではなく。

一刻一刻人は死んでいく。

死んだも同然

騒々しい不在を抱えて

地下鉄に乗っている

見知らぬ人に囲まれている

 

58歳の母に会いたくなって

地下鉄の窓に目をやる

87歳の母はすこぶる元気で

今頃は花に水をやっているだろう

 

電車が停まる

たくさんの人が降りていく

 

別れる前の恋人に会いたくなって

地下鉄の隣のシートに目をやる

別れた恋人は時々電話をしてくる

優しい会話ではじめからおわりまで

他人

 

電車が動き出す

誰も乗らない

 

傷つきやすかった21歳の親友も

親切だった10歳のひで君も

 

死んだも同然

 

死んだも同然な人々を

こんなにも抱え込み

焦がれているわたくしの一部も

すでに死んだも同然で

 

わたくしの上に時間が降り積もる

すべての駅を埋め尽くす

人の命のことを考え続けている。

どこから来てどこに帰っていくのか。

この地上以外のどこかに命の源のような場所があると信じている。

これを書いたとき母はまだ元気だった。

元気だったが、ずいぶんと弱っていた。

母の命のことを考えていた。

出口

すみません出口はどこにあるのでしょうか

地下街で出口を探す人に会った

閉じ込められた小動物のように

右往左往して

閉じ込められた小動物のように

息を切らして

 

入り口を使って降りてはきたけれど

出口を探したことはなかった

一緒に探すことにした

 

小さな子どもたちが

靴音を立てて走っていく

サラリーマンが

電話をしながら歩いてくる

若い女の人はみんな美しい

 

ふと冬のコートが重くなる

 

外は春なのでしょうね

そうかもしれませんね

 

ところで

出口はあんなところで

口を開けている

ひゅうひゅうと

人を吸い込んでいる

 

入口も出口も同じものだったから

さようならお母さん

また会いましょう