2024年2月 静岡

三島集合の一泊二日の伊豆の撮影ツアーに参加する前日に静岡県立美術館のロダン館に行くことにしました。

2月25日(日)

名古屋(8:43発)→豊橋(9:37着9:49発)→浜松(10:23着10:25発)→静岡(11:40着)

 静岡駅近くのビジネスホテルに荷物を預けた後、バスに乗って30分、美術館に着きました。ロダンの地獄の門が静岡県立美術館にあると知ってからずっと見たいと思っていたのでした。

地獄の門は世界に7つあるそうで、無知な私は「複数あるってどういうこと?」と不思議でしたが、調べてみたらロダンによって石膏の原型が作られた後、その死後ブロンズで鋳造されたのだそうです。

 地獄の門に作られたいくつかの像が単体として彫像になりました。考える人はその代表です。

 

ダンテの「神曲・地獄篇」も展示されていました。夏目漱石、上田敏、森鴎外、それぞれの訳を見比べるのも興味深いものでした。

 

15:23のバスで駅までもどり、雨が降っていたのでそのままホテルにチェックインしました。ホテルプレジオ、キャンセルがあったのでグレードアップした部屋を用意したと言われて行ってみたら本当にいい部屋でした。素泊まり6696円。

2月26日(月)

静岡(7:37発)→三島(8:43着)

9:20集合でしたが、予定していた電車より一台早い電車に乗りました。三島のドトールでコーヒー休憩。

(今日のコース)

三島駅→修善寺→下田温泉

本来は青野川沿いの河津桜と菜の花の撮影をするはずでしたが、花が終わってしまっていたので予定を変更して、修善寺に行ったあと土産物屋さんの駐車場に咲いていた河津桜を撮りました。

修善寺の梅ももうほとんど散り果てていて、残念な一日でしたが、これはホテルの窓から見えたヤシの木。下田東急ホテル、素敵なホテルでした。

2月27日(火)

(今日のコース)下田温泉→弓ヶ浜(夜明け)→日野の菜の花→滑沢渓谷→三島駅

三島(16:22発)→名古屋(18:06着)

ホテルを5時に出て、弓ヶ浜で夜が明けるのを待ちました。だるま朝日が出るかもしれないと期待したのですが、日が出る直前に雲が出て残念でした。実は朝日の撮影はあまり興味がないのですが、夜明け前の海はしんと空気が澄んで格別です、そんな世界を知ることができたのも写真ツアーに参加したおかげです。

2024年2月 伊勢市

 伊勢市駅近く、河崎の町並み散歩に行きました。

初めの計画は、2月21日に出て河崎の町並みを歩いた後外宮に参拝し、駅の近くのビジネスホテルに一泊し翌日内宮にお参りするのんびり旅でした。が、二日とも雨の予報で急遽ホテルをキャンセル、旅は中止のつもりでした。21日、朝から曇り、雨の気配はありません。日帰りで出ることにしました。

 名古屋を8:37発の快速みえに乗りました。この列車はいつも混むので早めに並んで、2人掛けの窓際をゲット!と思ったらなんと前の4人席に座った女性2人組があっさり私の前のシートをひっくり返して自分たちの席を2人掛けにして私の前に2人掛け席を作ってしまいました。ボックス席になったところに小さな女の子を連れた若いご夫婦が座りました。

わかっていてボックス席にすわったのならなんということもないのですが、心は2人掛けの窓際の態勢を取っていたので、伊勢市駅に着くまでイライラねちねち腹を立てていました。心の狭い女です。

伊勢市駅10時18分着。河崎本通りを商人館まで歩きました。勢田川沿いに蔵の立ち並ぶ古い町並みでした。

途中で出会った夫婦連れに「ここの伊勢うどんはとてもおいしい」と教えてもらいましたが、その前にスーパーで買ったチーズパンとなが餅を神社で休憩しがてら食べてしまっていたので満腹、残念なことをしました。(なが餅は三重県の名物かもしれません、おいしかった)

伊勢市駅に戻ったら、電車が30分ほど遅れていました。タイミングよく来たのに乗って二見浦へ。

 ジパングの切符を窓口で申し込んだとき、名古屋伊勢市間は往復で201キロに少し足りないということで、その先の松下までの切符を作ってもらいました。松下ってどこ?と思ったら、二見浦のひとつ向こう、ならばついでにおひなさまめぐりをしている二見浦に行こうという気になったのでした。

 駅から夫婦岩までの道沿いに点々とお雛様を飾った店が続きます。どういうわけかほとんどの店が閉まっていたので、ひょっとするとこの界隈は火曜休みなのかもしれないと思いながら歩きました。

 夫婦岩は何度かツァーで来ていましたが、電車で来たのは初めて。何かやはり神聖な空気を感じます。

二見浦の駅舎は、夫婦岩を模したものでしょうか。

たくさん歩いて、帰宅の途につきました。18000歩!

 

2023年11月 群馬

今回はわたらせ渓谷鐡道に乗ってみたくて計画を立てました。

 

11月3日(金)

名古屋(8:00)→長野(11:01発11:28着)→高崎(12:19発12:37着)→桐生(13:23発13:35着)→通同(15:10発15:17着)→沢入(15:30着)→旅館

 数日前に特急「しなの」の指定を取りに行ったら満席だったため、7時過ぎから名古屋駅で並びました。予想通り電車は混み、立っている人をたくさん乗せて出発しました。(外国の人がめだちました) 9時半頃、塩尻が近づくにつれて山の紅葉が濃くなっていき、奈良井のあたりで本格的にきれいになりました。

長野で特急から北陸新幹線あさまに乗り換えて高崎、高崎から桐生へ。桐生からはわたらせ渓谷鐡道です。たまたま着く時間に乗れるのがトロッコ電車しかなかったのでそれに乗りました。窓のない車両の指定席は数週間前に売り切れていて普通の車両に乗りましたが、トロッコ列車としての追加料金520円はきっちり取られました。なんか、納得できない…ボックス席で83歳のおばあさんとその孫という女性が一緒になりました。おかあさんから今朝「おばあちゃんがひとりででかけちゃう」という電話がかかってきたのであわててついてきたとお孫さん。旅好きのおばあさんで、あちこち出かけたという話をしてくれました。私もいつまで一人旅ができることやら、と考えました。

 沢入で降りて駅の写真を撮る予定でしたが、被写体としての駅に食指が動かなかったのでもう一駅乗って時間調整をすることにしました。ずっと乗りたいと思っていたわたらせ鐡道でしたが、渓谷美も中央線沿いの方が美しいし、なによりもっと美しいところは全国にたくさんあったし、駅も電車もなんとなく触りたくないような・・・。 

4時半に宿のご主人に迎えに来てもらいました。宿は小中駅からは数分なのに道が崩れて通れなくなっているということでした。

親切なご主人と奥さんに迎えられて入った部屋には蚊帳とこたつがありました。食事も手の込んだものでこれで8900円では申し訳ないと思いましたが、性格でしょう、気が張ってしまって疲れました。私にはビジネスライクな町のビジネスホテルが向いているようです。

翌日、富弘美術館まで送ってもらいました。

 

11月4日(土)

美術館(10:45)→バス→神戸駅(10:55着11:40発)→桐生(12:45)

 

痛みを感じるのは

生きているから

悩みがあるのは

生きているから

傷つくのは

生きているから

私は今

かなり生きているぞ

(生きているから)

 

「かなり生きている」という言葉に惹かれて書き写しましたが、どうしてかなあ、書き写したらつまらなくなってしまいました。

詩は(詩に限らず、文芸作品は)作者の背景や生き方、背負っているものを知って読むのと知らずに読むのとではどうしても違いが出てきます。私は自分の背負っている背景に支えられなくても立っている詩を書きたいと思ったりしました。

美術館からバスで神戸駅へ。観光バスからわっしー号に乗るためのお客さんがたくさん降りてきて、下りのわっしー号は3両編成になっていました。神戸駅はふだんはいない駅員さんもいて、お土産を売ったり切符の説明をしたり、活気づいていました。

神戸駅の後は大間々駅に下車する予定でしたが、わたらせ鉄道に飽きたのでそのまま桐生へ移動しました。景色のいいところを走る電車は窓ガラスくらい磨けばいいのにといつも思います。人手がないのでしょうが、電車を洗おうイベントとかしたら鉄オタにはウケルのじゃないかなあ。

桐生の街歩きをしていたら「上毛芸術線」というアートイベントをしていたので3か所見ました。若者のアート。

「鉄道路線等の沿線で行われる沿線開発にかけて、前橋・みどり・桐生をつなぐ上毛電鉄沿線のまだ見ぬご縁をつないでいくアートイベントです」ということで。

たくさん歩きました。桐生織物記念館に展示してあった織物がすごく素敵でした。はぎれやちょっとしたバックなどお手頃価格で販売もされていたのに買わなかったことを後悔しています。

よく知らないけど坂口安吾の碑もみつけました。パークイン桐生泊、素泊まり6200円。

11月5日(日)

桐生(8:11)→前橋(8:42)→徒歩→前橋文学館→徒歩→前橋(11:25発)→高崎(11:50)→バス→山田かまち美術館→徒歩→高崎

桐生駅で電車を待っていたら、夫婦と思われる中年の男女が階段を上ってきて、そのすぐ後から来たおばあさんが女性の来ているワンピースを指さして何か言いました。男女は完全無視。おばあさんはこっちに来て「あの奥さんのワンピース、かわいいね」と言いました。奥さん、ありがとうぐらいいってもいいのに。関西だったら会話が始まっていたかもしれないのにと思いました。おもわずそれが群馬流?と。

 前橋に着いて今回の2つ目の目的「前橋文学館」を目指しました。駅から徒歩20分、萩原朔太郎についてのビデオを見た後ムットーニ劇場という不思議なシアターを見せてもらいました。その後駅に戻ってから山田かまち美術館に行きました。山田かまちは17歳でエレキギターで感電死した天才。絵は本当にうまく、ノートに残された詩や文章は思春期の痛みにあふれていました。

11月6日(月)

高崎(8:21)→長野(9:12着10:00発)→千種(12:52)

長野駅のホームに現金の使えない売店がありました。レジにも人がいなくて、すべてセルフ。時代の変化の速さに目が回ります。地元にはスマホも使わない友人がいるけれど…。

 

朝井リョウ「正欲」読了。映画化もされるらしい。特殊な性欲を持つ人たちの話で、どう映画化されるのか見てみたい気がしました。多様性の時代?どうしてあんなに人の目や人の価値観が気になるのだろうと思ってしまいます。若い人の小説を読むと現在というものがわかります。その後中村文則「何もかも憂鬱な夜に」読了。重い小説でした。

2023年10月 いわき

草野心平記念文学館以外はノープランの3泊4日の旅。これまでどんな旅も事前に分単位で計画していました。(出てから変更を余儀なくされることはままありましたが) そうしたい性格なのですが、だんだんそれがきつくなってきていました。事前に計画すると「机上の計画」になりがちで、計算上はOKでもその通りに動くためにかなり無理をすることが多かったのです。今回はわけあって急な出発になったので宿だけ決めてノープランで行くことにしました。

10月21日(土)

名古屋(11:31)→東京(13:12着13:36発)→郡山(14:56着)

午前中の用をすませて11時31分発のひかりで出発、郡山に3時ころに着きました。

ちょっと早く着いたので町中散歩。ここいらで一番高いという建物の22階からの景色を見ました。

アルファーワン東口泊

10月22日(日)

郡山(7:59)→小川郷(9:24)  草野心平記念文学館 小川郷(15:03発)→いわき(15:15着)

 ゆうゆうあぶくまラインで小川郷まで。これはJR磐越東線でディーゼル機関車です。ゴトンゴトンという音もトンネルに入る前に鳴らす警笛ものどかでほっとさせてくれます。窓外は山、駅近くだけ民家と田園、天候に恵まれて青空に浮かぶ真っ白い雲を眺めてのんびりしていました。斜め前のボックス席に男の子とそのおじいさんが座りました。一時間あるからゲームをしててもいいというおじいさんに「一時間って六十秒でしょ」と大きな声で言っています。いくつくらいでしょう、そのうち若い女性の車掌さんが切符の点検に回ってきて「何をするの?」「魚釣り!」「何を釣るの?」「アジ!」「アジは唐揚げがおいしいね」などと会話が始まり、おじいさんは駅から釣り場までのバスの乗り方を聞いて車掌さんがタブレットで調べていました。のどかです。旅のしあわせです。

小川郷駅から文学館まではタクシーしかないと言われていたので、事前に調べておいたタクシー会社に電話をしましたが、3社かけて全部に断られました。困って文学館に電話をしたら迎えに来てくれました。食事をするところもないだろうと予想してパンを持って行ったのは正解でした。電車は14:58発までありません。文学館は予想以上に充実していて、時間まで十分楽しめました。そして、帰りのタクシーにも断られたので駅まで送ってもらいました。途中まだ時間があるからということで草野心平の生家にも寄ってくださいました。とても親切にしてもらいました。

小川郷14:48発の列車が15分ほど遅れてきました。無人駅なのに適宜放送が入るのが不思議。いわきに着いた後観光案内所で相談して翌日の予定をたてました。サンライズいわき朝食付き2泊15100円

 道を歩いていてふと山村暮鳥の「おうい雲よ」の最終行の「ずっと磐城平の方までいくんか」の磐城平といわきが結びつきました。迂闊なことです。けれど確かにそんな雲のある日でした。

10月23日(月)

いわき(7:51)→久ノ浜(8:05)

案内所で教えてもらった弁天島を目指しました。住宅がどれも新しくて、震災の後に建てられたものであることがわかります。道も歩きやすく、防波堤としての松林が作られています。天候に恵まれて気持ちのいいウォーキングになりました。目的の弁天島は波立海岸にありました。そこから道の駅四ツ倉を通って、四ツ倉駅まで、全行程3時間ほどでした。暑かった、海以外なんにもなかった、誰にも会わなかったと、瞑想のようなウォーキングになりました。

四ツ倉(10:36)→湯本(11:57)

案内所では薄磯海水浴場の灯台を勧められたけれど、海に飽きてしまったので、温泉地に行くことにしました。 

湯本温泉

駅から町をぐるっと回りましたが、大きな温泉宿以外は特に何もなくて、普段は不潔な気がして入らない足湯を使いました。海岸ウォーキングで疲れた足がとても楽になりました。湯本温泉は有馬温泉、道後温泉と並んで日本三古泉に選ばれているということで温泉好きなら日帰り温泉お勧めです。

10月24日(火)

いわき(8:30)→郡山(10:03着10:30発)→東京(11:48着12:00発)→名古屋

いわきから郡山まで1690円、水戸までも1690円、いわきはもっと東北寄りかと思っていましたがあらためてこんな距離なのだと知りました。東京も近い。また、いわきから郡山まで1時間半、郡山から東京まで1時間半、東京から名古屋までも1時間半。それもなんだか不思議。

今回、ノープランだったのでずいぶん手抜きの旅になりました。でも気持ちも体もラクで、もうそんなにガツガツした旅をしなくてもいいかなと思う旅でした。

2023年10月 三重県

 三重県の渡鹿野島を目的に計画を立てましたが、宿がどこもふさがっていて(一人のお客お断り、も多く)、島でも最寄りの鵜方駅でも取れなくて、鳥羽駅の湯快リゾートを予約しました。(鳥羽は鳥羽市、鵜方は志摩市です)

1日目に渡鹿野島に行って鳥羽で一泊、翌日鳥羽水族館などでのんびり遊んで帰る予定でしたが、出発の前日ふと気が付いて湯快リゾートまでは鳥羽からどうやって行くのかを調べたら、徒歩で行くには遠く、ホテル鳥羽間送迎で最終のお迎えが16時55分 とのこと。鳥羽には54分着の電車で戻る予定でした。1分!間に合いません。慌てて計画を作り直し、まず鳥羽で遊んだ後翌日島に渡ることにしました。駅から出ている三重交通のバスが一日7本と極端に少なくて計画を立て直すのに苦戦しました。

10月5日(木)

名古屋(8:37)→鳥羽(10:38)

JRのジパング利用で往復3,800円。名古屋から近鉄を使ったほうがずっと便利なのですが、ほぼ半額で往復できるJRで行きました。JR鳥羽駅はさびれた無人駅で近鉄とは大違いです。

鳥羽に着いてすぐ目についた派手な船に乗ってみようと窓口に行ったら、イルカに触りたかったら午後の便がいいと言われ、とりあえずミキモト真珠島の窓口に行きそこで気が変わってミキモトと鳥羽水族館のセット券を購入し派手な観光船はやめることにしました。

10月6日(金)

鳥羽(9:32)→鵜方(10:05着10:28発)→バス→渡船場(1045着)→船3分→渡鹿野島

渡鹿野島(12:28発)→船3分→渡船場(13:25発)→バス→鵜方(13:43着14:05発)→鳥羽(14:30着14:59発)→名古屋(17:07着)

YouTubeを見てこの島が「売春島」と呼ばれていたこと、そのときの店や女性のアパートが廃墟となって残っていることを知りました。

 写真の「スナック青い鳥」はやり手の女の人が売春島全盛期に元警察官だった男性と営業していた店で、ここで斡旋が行われていたそうです。

そもそも渡鹿野島は江戸時代以前から風待ちの島と呼ばれて、船乗りの立ち寄り所だったそうで、そこで売春が始まったようです。それは街に風俗の店ができ始めるようになるまで続いたそうです。が、ネットで調べれば調べるほど目を覆いたくなるような話が出てくるのでうんざりします。

島は悪い過去を払拭しようと今は修学旅行生などを誘致しているようです。

島に渡る船は休みなく往復していました。行きは島の人が二人一緒でした。船を待つ間、どこから来たのかと聞かれ少しお話し、上陸後道を教えてもらいました。海岸に近いところにはホテルが立ち並び、美しい景色を作っていましたが、少し道を上っていくともう誰も住んでいない古い家ばかりが続きます。売春島という過去以上に高齢化による人口減少の廃屋があるようです。

島には2時間少し滞在し、1時間待ってバスに乗りました。こういう待ち時間が旅の大切な時間で、特に何をするというわけでもなく、ぼうっと時間をやり過ごす豊かな時間です。この間に行き来した船にもやはり2~3人の乗客がいました。

こんな1泊2日も旅と呼んでいいものかどうか。

2023年6月 北海道

写真友だちと利尻・礼文・天売島に行ってきました。全行程彼女の運転でレンタカーで回りました。いつも公共交通機関で移動している身としては、車移動の効率の良さには毎回驚かされます。

6月21日(水)

中部国際空港(8:00)→新千歳(9:45着10:20発)→稚内(11:15着)→バス→稚内港(16:40発)→フェリー→利尻島鴛泊(18:20)

 新千歳で乗り換え。稚内空港からバスで稚内港まで行きましたが、フェリーが少ないため、稚内港で4時間超待ちしました。利尻島の港まで宿の人に迎えに来てもらって1日目は終了。

3月はじめに計画をたてて宿を探しましたが、どこも満室で苦戦しました。飛行場でも利尻島でも礼文島でもパックツアーに何度も会い、その理由に納得しました。同じ宿に2泊、1泊めは2食付きで14900円、2泊めは素泊まりで9900円。とてもフレンドリーで感じのいい男性が迎えに来てくれました。ランドセルの郵便受けは、この男性の弟の物とか。

6月22日(木 ) 一日利尻島

姫沼→オタトマリ沼→白い恋人の丘→南浜湿原→仙法志御崎公園→富士野園地

6月22日9時から23日の9時までレンタカーを借りました。レンタカーで1日利尻島を回った後23日に港で返して、フェリーで礼文島に移動、礼文島では4時間だけ借りました。

 

 早朝4:00から宿の周りを歩き、昆布干し場の近くで利尻富士を撮っていたら、軽トラで来たお母さんが「ここからの利尻富士が一番美しい」と言ってくれました。養殖コンブ漁は7月から。今日はウニ漁、とのこと。

ゴリラの後ろ姿のような丘はペシ岬。今日は登らず明日の朝日をここで撮ることにしました。

姫沼展望台は今夜の星空撮影のための下見。

ウニのお寿司は2貫で2千円。

港の近くで夕景を撮った後、星空が望めそうになかったので姫沼を諦めてホテルに戻りました。

ホテルのお風呂が1つしかなく、9時までだったので急いで8時半に戻りましたが、男性入浴中でアウト。翌朝入ることにしました。お風呂に難のある小さな宿ですが、なんといっても迎えに来てくれた男性の(2代目?)感じが良くて◎

 

6月23日(金) 利尻島から礼文島へ、礼文島から稚内へ

利尻島鴛泊港(9:20発)→(フェリー)→礼文島香深港(10:05着)

→香深港(14:20発)→(フェリー)→稚内(16:15着)

ペシ岬で朝日を撮ろうと、3時に出発しました。ペシ岬は見えているのに登り口が見つからず、日はどんどん登ってくるのであきらめて近くの海岸でカメラを構えました。

ペシ岬の撮影後フェリーで礼文島に移動。

香深港の近くで4時間レンタカーを借りました。

高山植物園→金田ノ岬→久種湖→澄海岬→北のカナリアパーク

小さな島でした。

レブンアツモリソウは今年は早く終わってしまったとのことで群生を見ることはできませんでした。

金田の岬にアザラシがいるということで楽しみにしていったのですが、風が強くて残念。そのあとに寄った澄海岬で遠くのほうにぷかぷかと顔を出したり引っ込めたりするアザラシを見ました。

 

 

フェリーで約2時間、16:15に稚内に戻り稚内駅前でレンタカーを借りました。

稚内→ノシャップ岬→稚内港北防波堤→稚内駅近ホテル素泊まり8500円

ノシャップ岬は、ライトダウンを着ていてもじっとしていられないほどの猛烈な寒さ。日没を見に来ている観光客も早々に帰っていきました。

その後稚内駅近くの「稚内北防波堤」で撮影。不思議な雰囲気の写真が撮れました。

以下は礼文島の写真

以下はノシャップ岬と稚内港北防波堤

6月24日(土) 稚内から羽幌までレンタカー、天売島に渡る

稚内(7:00出発)→(レンタカー)→羽幌(10:40着11:40発)→(フェリー)→天売島(12:40着)

稚内から羽幌までのオロロンラインは快適なドライブロードでした。羽幌港にレンタカーを置いてフェリーに乗りました。

天売島の目的は夕方一斉に戻ってくるウトウを見ることでした。それまでの時間島をレンタカーで回りました。レンタカーを返して島のウォーキングコースを歩き、5時半民宿の夕食、7時からウトウのガイドツァー。海の真ん前の民宿泊。2食付きで6000円。

野鳥のガイドツァーはものすごい数のウトウの帰巣、それと同じくらいの数のウミネコ。ウミネコがウトウの雛を襲って食べるので道路に点々と雛の死骸が落ちています。この時期は毎朝警察が回収するそうですが、追いつかないほどです。車も雛をひかないようにそろそろ運転していました。

民宿の前で星を撮りました。雲みたいなのは多分天の川。

とても古くて部屋はおろか玄関もカギをかけない民宿でしたが、食事はご主人が取ってきた魚中心でおいしく頂きました。部屋もトイレも年季が入っていて、お風呂は怖くて見ませんでした。でも、すごく親切なお母さんによくしてもらって忘れられない宿になりました。

6月25日(日) 天売島から浜頓別へ

天売(9:40発)→(フェリー)→羽幌(10:40着)→(レンタカー)→浜頓別(15:00着)

3時30分起床、宿の前で朝日の撮影。その後フェリーに乗る前にもう一度ウミネコのいる黒磯へ行きました。

天売の港で南こうせつのメッセージを発見。青春の思い出。

羽幌からまたオロロンラインで北上し、川口遺跡などを見た後浜頓別のホテルへ。入浴施設に敷設されたようなホテル。2食付き9940円。

 

夕食後疲れがピークになって、友人が元気に撮影に出かけるのを見送って一人部屋で休養しました。

6月26日(月)

 

浜頓別→稚内空港(17:05発)→千歳→中部国際空港(21:00着)

ホテルはくっちゃろ湖の近くだったので、朝5時から歩いてみました。キャンプ場で特に写すものなし。

モケウニ沼→宗谷丘陵→白い道→回転ずしでランチ→稚内空港

白い道は貝殻が敷き詰められていました。お天気に恵まれて快適な6日間が終わりました。ずっと運転してくれた友人に感謝。

2023年5月 神戸から小豆島

5月13日に大阪に用があって行くついでに神戸から小豆島まで足を伸ばしました。

5月13日、勤めていた会社のOB会に出たあと神戸三宮に移動しました。神戸北の坂ホテル泊。雨が降ったので、ホテルに直行。小さなホテルでした。ちょっとしたパンとサラダの朝食付きで11400円。

 

5月14日(日)

雨も上がり、予約していたソニーのαアカデミーに参加しました。阪野祐美子先生の「神戸北野の街スナップフォト」はじめてお会いする先生でしたが、元気で明るく何でも教えてくれる素敵な先生でした。10人くらいが参加していました。

10時から12時までの講座で楽しい時間を過ごすことができました。

午後小磯良平記念美術館へ

講座終了後住吉までもどって、昼食にカレーうどんを食べて六甲ライナーで小磯良平記念美術館に行きました。若い時に絵の中の青年に恋焦がれた記憶があってその青年に会えるかと期待していったのでしたが、残念ながら展示されていませんでした。小磯良平の絵が好きだと思い続けていたのですが、どうやらそうではなくてあの青年が好きだったのだと、展示されていた絵を見て気が付きました。つきものが落ちました。午後は雨、午前中降らなかったのが本当にラッキーでした。

(15:21発)住吉→三宮→姫路(16:18着) 東横イン泊、ちゃんとした朝食付き6900円

5月15日(月)

姫路(9:00発)→(バス)→姫路港9:45発→(フェリ)ー福田港11:25着

福田港(11:45発)→(バス)→オリーブ公園 

オリーブ公園→(渡し舟)→24の瞳映画村

映画村(14:10発)→(渡し舟)→オリーブ公園→(バス)→土庄

 

姫路の朝、ホテルの近くのガード下辺りが面白くて出発前に散歩がてら少し写真を撮りました。

姫路港から福田港までは1時間40分で船内は空いていました。福田港からバスでオリーブ公園に。観光案内所がオリーブ公園にしかなかったために情報を仕入れるためです。そこで24の瞳映画村に行くことを勧められました。案内所の人に渡し舟の船頭さんに電話をしてもらい、迎えに来てもらいました。乗客一人、快晴の空の下いい風を受けて気持ちのいい10分間でした。 

24の瞳映画村に入ってすぐ醤油ソフトクリームを食べたら想像通りの美味しさでますます幸せ。

快晴、きれいな海と空。ぼうっと海を見ていたら魚が飛びました。フグやボラ、くらげ、タイなどの泳ぐ姿も見えてまるで天然の水族館。

建物も味わい深く、存分に楽しみました。

<目の前を魚がとんで見せる 島の夕陽に来て居る(放哉)>

帰りの渡し舟には自転車乗りのカップルが前に座って少々汗臭い風が吹いてきたうえ、空も雲が広がって白くなり、同じようなところに同じようにいても全く感じが違い、同じ場所は二度とないと実感したのでした。場所が同じでも時間も気候も条件も、そして自分の心の状態も合わせて一つの場所となるのだと。

16時13分、バスが土庄に着きました。ビジネスホテルニューポート泊。小さいホテルでしたが、なんとお風呂とトイレが別々で、家のお風呂のようにバスタブの外で体を洗うことができました。(洗面器が置いてあり、その状況を把握するのに時間がかかってしまいました) 和食の朝食付きで5600円。

5月16日(火)

土庄本町(10:30発)→(バス)→福田港(11:30着11:40発)→(フェリー)→姫路港(13:20着13:35発)→(バス)→姫路(14:00着14:11発)→名古屋(15:42着)

6時30分から朝食をとってそのまま出発しました。今日の目的は迷路の町と放哉記念館。9時に開館する前に迷路の町を歩きたいと思って早い出発をしました。

歩いていたらバスが追い抜いて行ったので何行きかと見たら「すみません回送中です」と表示されていました。あやまらなくてもいいのに。

迷路の町はまさしく迷路で放哉が好んで散歩したということです。細い道が縦横無尽に通っていて、その道沿いにぎっしりと家が立ち並ぶ、ほとんどがとても古い家ですがその前で花を育てていたり、家のしつらえが個性的だったりして見て歩くのが楽しい。放哉の句の看板の前で写真を撮っていたら通りかかった女の人に声をかけられました。句の横にある石は大阪城の残石であること、残石とはお城に使う予定で切り出したものの量が足りたので使われなかった石で、残念な石と呼んでいるとか教えてもらいました。

迷路の町のそこかしこに1軒分の空き地があったので、ここが迷路の町でなくなるのも遠い事ではないと思えました。

9時前に放哉記念館に着きました。記念館は大きな墓地の横にあり、放哉の墓という矢印の向こうにはたくさんの無縁仏の墓が並んでどれがそうなのかわかりませんでしたが、なんとなく頭が痛くなってきたので早々に退散しました。

墓石を積み上げるのは小豆島の風習なのでしょうか、不思議な圧迫感がありました。写真を撮る勇気はありませんでしたが。

その後資料館にも行きましたがそれは小さな蔵のようで開けてもらうのも面倒になって外から見ただけで図書館で休憩することにしました。先の人にギネス認定をされている世界で一番小さな海峡の説明も聞いていたので行ってみることにしました。この海峡は土渕海峡と言って土庄と渕崎の間を流れるもので、土庄の方は実は小豆島とは離れていて前島というのだそうです。ここで、また先の女性と会いました。狭い町とは言え、不思議な偶然でした。

10:30のバスで福田港へ、福田港から姫路港までは1時間40分、姫路から新幹線で戻りました。

2023年4月 福島

福島在住の写真の師匠に案内してもらって東北の春を撮りに行きました。写真仲間合計4人の楽しい撮影ドライブ。

連れて行ってもらったので、コースの詳細は分からないのですが、ざっくり地図を載せます。


4月15日(土) 

名古屋(11:31)→東京(13:36発)→郡山(14:56着)

午前中の用を済ませてから午後出発、あいにくの雨で郡山に着いてすぐホテルにチェックインしました。写真仲間とは16日朝集合だったので前泊です。たまたま自分で予約した日が旅行支援の決まる前だったので、アルファワン東口に3連泊しましたが、旅行支援は2泊分でした。それでも4000円分のクーポンをもらってラッキー。

4月16日(日)

8:30ホテル出発 10:30半田沼 16:00日中 16:40桜峠 19:00観音寺川の夜桜 

 郡山には20時30分頃に戻り、駅ビルの店の中で中華の店で夕食をとりました。

4月17日(月)

4:30ホテル出発 6:20戸赤(山桜)  10:20赤土 猿楽そばの昼食 13:30観音沼

4月18日(火)

6:00ホテル出発 7:00裏磐梯檜原湖周辺の水芭蕉 12:00細野キャンプ場 15:00食堂幸華でけんちん汁の昼食 16:00郡山解散

16:06発やまびこ17:24東京着 19:09名古屋着

誘ってくださった方のおかげできれいな景色を見ることができました。

そして、今回一番感じたことはネーチャーの写真は場所選びから始まるということ。連れて行ってもらって撮った写真の半分くらいは連れて行ってくれた人の作品だと思ったりもしています。

2023年4月 犬吠と佐原

3月29日(水)

千種→名古屋(7:43発)→東京(9:42着10:15発)→千葉(10:55着11:14発)→銚子(13:07発13:12着)→犬吠(13:32着)

銚子電鉄に乗りたくて出かけました。事前にPCR検査を受けて千葉県に2泊したら、宿泊代は2千円くらいずつマイナスされ、クーポンを8000円分ももらいました。

名古屋駅の混雑を抜けてやっと東京に着いたと思ったら東京はもっと大変な人込みで、新幹線から在来線までの長い距離に辟易して、やはりもう東京には来たくない、来月予定している群馬は全部キャンセルしようと決めたのでした。

千葉行きのホームに着いたら東海道線の線路上に人が降りたとかで電車が遅延していて、乗る予定にしていた電車の1台前の電車が来たので乗りました。

 銚子から犬吠まで、銚子電鉄に乗りました。たまたま来た列車は内部に風船やらぬいぐるみがたくさん飾ってあって、ほぼピンク!

駅名も別名がついていて、よく聞き取れなかったのですが、「かみのけくろはえ」とアナウンスされたような…

犬吠駅に中井精也ギャラリーがあったので入りました。入場料は銚子電鉄の入場券150円。整理されていない物置のようなところに古くて色褪せた写真が貼ってありました。中井精也様に対してもったいない扱いです。

ホテルに荷物を預けて犬吠埼に行きました。できるだけ犬吠埼に近い所で一人でも泊れて高すぎない宿を探して予約したのですが、「ホテル&スパ月美」という名前からあまり期待はしていませんでした。ところがここが予想以上に高級ないい宿でした。朝食付き9126円のところ、旅行支援割引で7181円。

3月30日(木)

犬吠(8:30発)→戸川(8:32着)→(徒歩)→犬吠(11:47発)→銚子(12:03着12:08発)→佐原(12:53着)

朝、犬吠埼の見える海で日の出を見ようと(曇っていたので日の出は見られなかったのですが)散歩した後、「地球の丸く見える丘」に歩いて行こうか、それとも戸川まで電車に乗って港を歩くかと迷いに迷って、戸川に行くことにしました。

来た電車は昨日とは違ってシックな車輛で降りるときに運転手さんに昨日のピンク電車は特別車両なのかと聞いてみたら、車両には3種類あるとのこと。ピンクもシックも特に意味はなさそうでしたが、ピンクの方はバルーンの会社とコラボしているのだとか。ちなみに銚子鉄道の赤字は解消したということです。

戸川駅は銚子電鉄の終着駅。吹き抜けるいい風が風鈴を鳴らす、なかなかな味をかもし出している無人駅でした。港を歩きまわって駅に戻った後、地図を見ていて「地球の丸く見える丘」を通って犬吠駅まで歩いて行けることに気が付きました。

特に何もない戸川港を歩き回って疲れていたのですが、「地球の丸く見える丘」まで歩き、途中でつくしの群生を見たりして犬吠に戻り、そこから佐原に行きました。

佐原に行く途中、空が暗いと思っているうちに激しい雨が降り出しましたが、佐原に着いたら雨はやんでいました。「佐原の江戸めぐり」のパンフレットを見てその道を歩きました。少し疲れたので休憩所で玄米茶とあんバタークレープを食べ谷川俊太郎の「ひとり暮らし」を読みました。気を付けないと一生懸命ただただ歩いてしまうので時々は何もないぼうっとした時間をもたなければ、旅先で普通に日常をやってしまうようでつまらないのですが、ついつい目的志向でひたすら歩こうとしてしまいます。

佐原江戸めぐりは予想以上に単調で、利根川沿いに柳の木がたち桜も咲いていたのですが、「どこかで見た景色」でした。つまらないのでチェックインできる3時まで図書館で時間を潰すことにして、図書館で吉原幸子の詩集を見つけて読んだり、オール読物で好きな夢枕獏の陰陽師の最新作を読んだりしました。

佐原駅近くのルートイン泊。朝食付きで9400円のところクーポン利用で7520円。

 

3月31日(金)

佐原(8:06)→成田(9:12着9:22発)→東京(10:02発10:33着)→名古屋(12:14)→千種

佐原で午前中過ごす予定だったのを繰り上げて帰宅の途に着きました。

2023年3月 鵜方

また近場の1泊旅に出ました。今回は三重県の鳥羽より少し向こうの鵜方に行きました。

3月3日(金)

千種→名古屋(8:37)→鳥羽(10:38着 11:31発)→鵜方(12:04着 12:20発バス)→大王崎(12:43着)

中央線で千種についた車両から降りてくる人がずいぶん暖かそうな恰好をしていると感じました。寒い所からくる列車だから…と、単なる思い込みかもしれませんが。

名古屋からJR快速みえで鳥羽へ。三重に行くなら近鉄のほうが便利ではありますが、国鉄時代から乗っているJRは私には特別感があって、選べるものならJRを選びます。快速みえは座れない人がいる程度に混んでいました。青春18きっぷを使える期間だからかもしれません。

1冊目の旅の友「選んだ孤独はよい孤独」(山内マリコ)はホテルに着く前に読み終えてしまいました。特に深みのある小説ではなかったし、私が普段使わないような言葉で書かれているのですが、20代、30代を主人公にした今の若い作家の小説を読むと現在の日本の状況を知ることができるような気がします。なんだか閉塞感に満ちた男たち。

 鵜方に着き、大王崎を1時間ほど見学したら鵜方に戻って志摩地中海村に行く計画をたてましたが、大王崎に着いて帰りのバス停を尋ねたお母さんに近くのお寺の河津桜が満開だと教えられて行ってみたら本当に今が盛りの花にしばらく引き止められました。そしてそのお寺から灯台に向かって歩いていたら、穴をあけたあこや貝を店先に出している店があって、ちょっと立ち止まってその形状を見ていたら店のご主人と奥さんが出てきてまたここでも引き止められて、志摩地中海村に行くことを諦めました。ここから富士山が見えることもあるそうで、写真を見せてもらいました。日の出も夕日も美しい所のようです。

快晴の海、暖かい日でした。出会った志摩の人たちは話好きで、親切で、暖かな日差しを体も心も満喫しました。

鵜方に戻って16:15のホテルの迎えを待つ間に自販機で買ったサイダーを飲もうとしたら、蓋が硬くて開けられません。歳とともにだんだん力が弱くなってきていることは自覚していましたが…どうしてものどが渇いて飲みたかったので、近くに数人たむろしていた高校生の男の子にお願いしたら、その横の女子高校生が元気よく「私が開ける!」と言って開けてくれました。やっぱり、志摩の人は親切。そして、私のすくすく育っている「老人力」。指の力が弱くなっても人にお願いできる力が育っています。

予約した「クインテ ッサホテル」は鵜方の隣の横山駅近くでした。とてもいいホテルを旅行支援で安く泊まれました。

 

3月4日(土)

横山(10:22)→鳥羽(10:54着 12:02発)→名古屋→千種

リュックをフロントに預けて、6時50分、横山展望台に向かいました。昨日のうちにフロントで展望台に行く道を聞いていたのにホテルを出たらいきなりわからなくなったので、たまたま通りかかったおばあさんに声をかけました。

86歳、ご主人を亡くして今はひとりで暮らしている、息子たちは二人とも東京にいる、高知生まれだ…などなど一緒に歩きながら話を聞きました。元気を維持するためには歩かなくちゃと、さかんに「若いからいいね」と言われました。なんと「学生さん?」と聞かれたのには閉口して「マスクとめがねと帽子で隠れているから…」と答えて自分の齢を言えなくなりました。

横山展望台のビジターセンターまではゆっくり歩いて30分ほど。鶯が鳴き、満開の河津桜が続き、それはもう幸せな時間でした。

ビジターセンターから展望台までは急な登りと石段が続き、これはつらかったのですが、それでも隣りに走る車道を車で登ってはこの喜びの半分も喜べないと思いました。

展望台からは英虞湾が広がっているのを見ることができました。

展望台から降りて、ビジターセンターで小さな真珠のついたピンバッチを買いました。センターの人が

「河津桜、寒緋桜、枝垂桜、陽光桜、ソメイヨシノが次々に咲く」と教えてくれました。本当に美しい道でした。

 旅の友として1冊しか持ってこなかったので、帰りに読む本がないと困っていたら展望台の帰りにホテルの隣にある書店を見つけました。「一人称単数」(村上春樹)と「生きるぼくら」(原田マハ)の2冊購入。

無人駅の横山で電車を待つ1時間「一人称単数」を読み、鳥羽での1時間待ちの間に読了。ものすごく醜い女の人と容姿がぱっとしない女の人のエピソードを書いたような短編「謝肉祭」をはじめとしてクラッシックや野球やジャズのうんちく披露も鼻に着き、なんか腹の立つ小説。自分大好きな男のエッセイのような小説でした。